みんな違ってみんなロータス⑵

前回の記事からだいぶ空いてしまいましたが…



「他人と比べない」ことがなぜ良いか、という話でしたね。
ヨガのクラス中のことでいうと、
「他人と比べない」方がケガをしなくてすみます。

常にご自分の体の状態に意識を向けていると、「これ以上伸ばすと痛い」とか「無理がかかっている」というのがわかりやすい。

他のひとを意識しながら行うと、「隣のひとはできているのに」など焦りや恥ずかしさが顔を出して、必要以上に力を出そうとして負荷がかかり、ケガをしてしまうことがあります。



他方、
精神的な側面から「比べない」ことを考えると、わたし個人の考えですが

「その方が楽だから(生きやすいから)」

かなぁと思います。



小池龍之介さんというお坊さんのご著書「坊主失格」に、「慢」という仏教の概念が紹介されています。

「慢」というのは自分のすごさ、かけがえのなさを他人に知らしめたい、認めてもらいたいという自己顕示の欲望のことだそうです。

小池さんはこの「慢」の心からほとんどの苦しみは生まれていると考えたそうですが、
「他人と比べる」ことも

「あの人と比べて自分は優れている/劣っている」→「だからわたしを認めてもらいたい」

という苦しみ、こころのイガイガする気持ちにつながっている気がします。
(「坊主失格」はすごい良著、いや著者の悲喜こもごもが詰まった壮絶な【怪著】ですのでぜひ読んでみてください!)



わたしたちのほとんどは"悟った存在"ではないので、完全に100%比べないなんてできっこない。

でも比べることで、ご自分を虐めたり、不安に煽られて自信を失くしていたり、酷い場合はメンタルを病んでしまったり、それはとてももったいないことだと思います。

そこから少しでも解放される手段として、ヨガや瞑想、マインドフルネスという考え方があったりします。

これらすべては、それ自体が目的ではなく、手段です。
ご自分が少しでも楽に、快適に、自分が自分であることを力一杯喜べるように、うまく使ってもらえたらなぁと思っています。

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